涙の数だけ

おはこんばんにちは

 

久しぶりのブログ更新、藤本です。

 

久しぶりですが、以前と変わらず近況というか感情というか、を書こうと思います。

 

 

 

先日、就職活動が終わった。

 

終わった、というよりかは終わらせたという方が正しいのか、兎にも角にも行きたかった会社から内々定をいただき、もうここ以外行きたくねえ、これでいいのだ、と思ったので「終わった」。

 

その会社からは電話で結果を伝えられただけだったし、自分が思ってたよりもかなり早い就活の幕引きとなったので全く終わった実感がなかった。

 

それでも、友達や家族に色々話すうちに何となく嬉しくなったし、少しずつ実感もわいてきていた。

 

 

そして、内々定をもらってから数日後、突然ヴォイ泣きしてしまった。

 

 

その日は大学の先輩と飲んでいた。近況報告や他愛もない話に花を咲かせていると、突然携帯が鳴った。企業からのメールで、他社の選考辞退のお願い、という内容だった。

 

ようやく形に残る文章で自分の内々定を確認でき、先輩の話を遮って喜んだ記憶がある。

 

そしてテンションも酒のペースも上がり、二軒ほど周った後、更にうちの近くで飲みなおそう、ということになった。(余談だがその時うちには居候がいて、先輩とは面識のない彼も何故か飲みなおしに来た)

 

その時には俺は相当酔っていて、正直最後に行った店では一滴くらいしか飲んでない気がする。

 

俺がそんな感じだったので、店から早々と出て、とりあえずみんなでうちに向かうことになった。

 

 

その道中のコンビニの駐車場。そこで俺は急に嗚咽しだした。嗚咽はどんどん激しくなり、気が付けば泣き声をあげていた。

 

何故泣き出したのか、そのきっかけは全く覚えていない。しかし、何故泣いていたのかはハッキリわかっていた。

 

 

 

まず、このブログを読んでくれている友達ならわかっているとは思うが、俺はこれまで基本導線の綱渡りのような感じで生きてきた。何をするにも余裕を持ったことなんてなかったし、皆と同じことをやるにしても基本はドンケツだったりギリギリのラインだったりでなんとかやり過ごしてきた。

 

しかし歳を重ねるにつれ、「やり過ごす」ことが出来なくもなってきていた。そんな自分に嫌気がさし、どんどん自信を失い、元々のネガティブ思考が輪をかけて酷くなっていった。

 

一度、友達から「生きるのが下手だね」と言われたことがあるが、まさにその通りだと思う。

 

そんな、常に自分に自信が無い俺が、皆が経験するライフイベントに対し、初めて余裕を持ってゴールが出来たことに対する信じられなさや嬉しさ、これが涙の理由の一つだった。

 

更に言えば、今年になってようやく大学の単位にも余裕が出来た。学業において余裕ができたのもここしばらくで初めてのことかもしれない。(5年も大学に通ってるのだから当たり前っちゃあ当たり前なんだけど。)これも相俟ってヴォイ泣きへ繋がった。

 

 

そしてもう一つの大きな原因は「寂しさ」だった。

 

大学に同じ年に入学したやつらはほとんどみんな卒業して4月から社会人になってしまう。仲の良かった地元の友達も大抵が社会人。ここにきて、社会に取り残されている感というのがジワジワと心をむしばんでいた。

 

別に友達じゃなくなる訳でもなく、一生会えなくなる訳でもない。しかし皆と俺では社会的な立場が変わるし、勤務地だってバラバラで、本当もしかしたらもう会わない人も出てくるだろう。そんなことを考え出すともう涙が…

 

 

泣いてしまったことは少し、いや相当恥ずかしいし、居候にはドン引かれ、先輩にはずっとなだめてもらって迷惑もかけたし、勿論次の日は二日酔いでダウンしてしまったが、こんなに感情的になれたのも久々で実は嬉しかった。

 

次、堰を切ったように泣く日はいつ来るのだろうか。うれし涙だったらいいな、等とクサいこと言って久々の投稿を終えることにします。

 

 

 

 

tomorrow/岡本真夜 を聴きながら

 

藤本でした